ファイナルファンタジーの生みの親。元・旧スクウェア副社長(2001年2月、辞任)。
1983年アルバイトとしてスクウェアへ入ったのがすべての始まり。
1985年スクウェアがファミコン市場に参入した頃から、何時の間にか社員にになっていたという。
ファイナルファンタジーである。
・ディレクターとしてFF1、FF2、FF3、FF4、FF5を手がける。
後のシリーズは北瀬佳範氏、伊藤裕之氏などに意思を継がせ、FF6以降はプロデューサー業に移行。
しかしプロデューサーでありながらも、FF7、FF9、また、パラサイト・イヴのコンセプト・ストーリー原案なども手がけている。
主に作品の方向性を決める一端を担わせているといっても過言ではない。FF11の完全オンライン化は、氏の一言から始まったという。
また、FFシリーズに限らず、クロノ・トリガーなど、数々のスクウェア作品の総合プロデュースを手がている。
(ちなみにFF8、FF10は開発にあたってはほぼノータッチ。)
その後、映画事業に参入。監督・原案として映画FFを手がける。しかし、興業成績は振るわず、映画事業から手を引く事に。
ともに2001年にスクウェアを引責辞任。肩書きをスクウェア(スクウェア・エニックス)専属エグゼクティブプロデューサーとする。
その年、ミストウォーカーを設立。代表をつとめる。
中村 光一(なかむら こういち)
チュンソフト代表取締役社長
作 品
学生時代に自作プログラムのパソコン用のゲーム「ドアドア」で、エニックスゲームコンテストに入賞。
その後に同じコンテストに出ていた堀井雄二とともに「ドラゴンクエスト」を制作する。(プログラムを担当)
「ドラゴンクエスト」は
「I」から「V」のプログラムを担当。
その後は、サウンドノベルシリーズの「弟切草」「かまいたちの夜」
不思議のダンジョンシリーズの「トルネコの大冒険」「風来のシレン」をリリース。
最新作は、サウンドノベルシリーズの「三年B組金八先生」。
解説
20年程前、個人がパソコンでプログラムを制作し、それを売り出して、印税で稼ぐ。
こんな事が出来た時代がありました。
今のゲームは規模が大きくなって一人の人間が作ったゲームが大ヒットなんてことは到底考えられません。
それがちょっと寂しくもあります。。。
この中村光一さんもその時代に、いくつかのパソコンゲームを開発して、会社を立ち上げた方の一人です。
「ドアドア」というゲームを制作して、エニックス(現スクウェア・エニックス)のゲームコンテストで入賞。
パソコンでもファミコンでも売り出されました。
このコンテストでは、当時週刊少年ジャンプの原作者だったドラクエの作者、堀井雄二氏も入賞しており、ここで知り合ったのがきっかけで「ドラゴンクエスト」のプログラムを担当することになります。
ドラゴンクエストのプログラムを担当した後は、サウンドノベルシリーズ「弟切草」「かまいたちの夜」、不思議のダンジョンシリーズを 、不思議のダンジョンシリーズ「トルネコの大冒険」「風来のシレン」を制作。
この人の作るゲームは、ビジュアルの美しさのたよらずに、ゲームのルールがとってもしっかりしていて何度でも楽しめる特徴があります。しかも新しい面白さをあわせもっています。
いわゆるゲームの面白さのツボを押さえたゲームを作られるんです!!
例を挙げると、、、
サウンドノベルシリーズでは、小説を読む面白さに、想像力をそこなわないように、ちょうどほどよいビジュアルと効果音を加えることによって、より臨場感のある物語を楽しむ面白さを実現しています。
不思議のダンジョンシリーズは、ダンジョン(モンスターのでるところだと考えてください)に入って宝探しをするのですが、その中で敵に倒されると、主人公の成長と持っていたアイテムがすべてチャラ、ダンジョンから抜け出ると主人公の成長がチャラになるというルールと、主人公は食事を取らないと、動けなくなり、そうなるとまたまた、持っていたアイテムをすべて取り上げられてダンジョンから追い出されるというルールがしかれています。
このルールは、 ダンジョンから引き上げるタイミングをいつにするのかという緊張を生みます。
しかも、そのダンジョンから引き上げるアイテムも最初からダンジョンに持ち込まない限りは、ダンジョンで現地調達となるので、、、
「目的地まであともう少しなのに、引き上げようかどうしようか…」
「食料が見つからない!!。引き上げるのにもアイテムがない。」
「強い武器を手に入れた!!、、、、けど、引き上げるアイテムがない、、、もう回復アイテムもないし。。」
なんて悩みはつきません。そのぎりぎりの緊張感がたまらなく面白い!
まあ、引き上げるのに躊躇していると、、、
「ぎゃあ、せっかくいいアイテムを持っていたのに敵にやられてしまった。」
となってしまって、せっかく集めたアイテムもおじゃんとなってしまいます。
しかも、ダンジョンに入るごとに、主人公の強さは最初のときと同じ強さに戻ります。
だから、主人公が強くなって簡単にダンジョンの奥に進めるようにはなっていかないんです。
ある程度ゲームが進むと、ダンジョンで手に入れたアイテムを数個選んで持っていけるようにはなるのですが、
それでも、主人公の強さは、最初のときと同じ強さで始まるのです。
これがどういうことかというと、ゲームがうまくなるのは、ゲーム中の主人公が強くなる(レベルアップ)やより役にたつアイテムの入手などによって、なされるのではなく、プレイヤーがうまく敵を倒したりやりすごしたりコツをつかんだり、効率的なダンジョンの探索方法を見つけるなど、ゲームプレイ上の経験をつんでなされるということです。
自転車を乗り始めたころは、なかなかうまく乗れなくても、だんだん、自分が成長してのれるようになっていく。
そんな自分がどんどん成長していく感覚が味わえるです!!
このように中村光一さんは、ゲームのルールをうまく設定することによって、そのルールでうまく楽しめるゲームを作るのが非常に得意とされています。
まさに、真っ向勝負のゲーム作りをされます。
ただ、「ルール作りがうまい」というと、そればかりに気をとられて、肝心のゲームのやりやすさ。
たとえば、ただ動かしているだけで気持ちいいというような原始的なゲームならではの楽しさがおそろかとなって、
なんだか、頭でっかちの苦しい、やりにくいゲームになっているかも、と心配されるかもしれません。
ところが、そうではないのです。
中村さんは、、、
「よくウィンドウや戦闘のテンポ感をほめていただけるのは、私がずっとアクションゲームを作ってきたからだと思っているんです。テンポにこだわりがあるんですね。気持ちがいいゲームは、ボタンを押しているだけで気持ちがいい。「ドラクエ」はRPGだけれども、非常にテンポを気にしてアクションゲームのように作っています。」
(ドラクエについて ファミリーコンピュータ 1983-1994より)
「あれも表示形式を決めるまでに、さまざまな試行錯誤があったんです。カラオケのように文字がどっと単位で出てくる方法を試したり、文字をスクロールさせたり、1文字ずつ表示する方法を試したり……、目を動かして、目で楽しみながら、文字を読めるようにするにはどうしたらいいか。いろいろな実験を経て、今のサウンドのベルの表示形式になったんです。ゲームは何十時間も遊ぶものなんで、基礎的な部分の研究をしっかりしておかないと、プレイする人にものすごくストレスを与えてしまう。私たちはとにかく快適に遊べるようにゲームを作っているんです。」
(サウンドノベルの形式について ファミリーコンピュータ 1983-1994より)
とこのように、普通のゲーム以上に気を使って、そのあたりは制作されています。
単純だけど、奥深く、ビジュアルでごまかさずに、ゲームのルールで遊ぶ人を楽しませる
「真っ向勝負」のゲーム。そんな中村光一さんのゲームの世界を味わってみてはいかがでしょうか?
■関連作品
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宮本 茂(みやもと しげる)
任天堂専務取締役情報開発部長
作 品:
「ドンキーコング」・「スーパーマリオブラザーズ」
「ゼルダの伝説」等を多くのヒット作を手がける。
世界で一番尊敬されているゲームデザイナー。まさにゲーム産業を創ったクリエイター。
最近手がけた作品は「ピクミン」など。
解説:
この人がいなければ、今のTVゲームはなかったと言われる程のゲームデザイナーです。
それほどまでにTVゲームの歴史を塗り替え、いまなお最前線にたっている方です。
この方のデビュー作は「ドンキーコング」と呼ばれる作品。
誰でもいっかいはきいたことのある、任天堂の有名なキャラクターあのヒゲのはえた「マリオ」が誕生した作品です。
この作品が作られるきっかけは、、、、、
あるとき任天堂でつくったゲームセンター向けのゲーム(「業務用ゲーム」とよばれています。)でアメリカで売れ残ってしまいました。しかも数千個。
「さあ、どうしよう。。」となった時に、ハートウェアはそのままに、ソフトウェアを書き換えることによって別のゲームとして売りだそうとなりました。もう少し簡単に言うと、電子回路はそのままに、ゲームの内容だけを変えて、売り出すことになりました。
そこで、その入れ替えるゲームを作ることになったのが当時新人の宮本さんなんです。
出来上がったゲームは「ドンキーコング」。
どんなゲーム内容とかというと、
あるステージでは、ドンキーコングにさらわれた姫をたすけるため、鉄鋼の中を転がってくるタルをジャンプして飛び越したり、ハンマーで壊したりしたり、ドラム缶から出てくる炎をさけたりしながら、レディー所まで進んでいき、
あるステージでは、鉄骨をはずしていき、ドンキーコングを落としていき、レディーの救出に向かいます。
(ファミコンミニで復刻されました。ぜひとも遊んでみて下さい!詳しくはこちら)
マリオはどのようにして生まれたのか。
その前にテレビーゲームのグラフィックの仕組みについて説明する必要があるので、説明しますと。、
テレビゲームを始めコンピュータの画面は、小さな四角の点(ドット)の集合で構成されています。
例えば、あなたが見ているコンピュータの画面は、横800個×縦600個の点もしくは横1024×768の点の集合でできています。(あるいはもっと細かい点の集合かもしれません。)
ドンキーコングを作るときに、画面や、コンピュータの機能の制約上、キャラクターを16×16の四角の集合
で描く必要があったんです。
「だから、このドットだけで、人物が本当に描けるかと言うことが大きなテーマでした。まず、人の顔とわからせる為に、顔は大きい方がいい、鼻はでかい方がいい、必然的に身体は小さくなってくる。走っているときに腕を振ると、走っているように見える。ならばオーバーホールのような服を着せて、袖と胴の色を変えよう。そうしているうちに、人物像が見えてきて…ああ、これはイタリア系の人に似ているなあって。」
「鼻を一番わかりやすく見せるには、ひげをつけることなんでですね、ひげを描くと口をかかなくていいので、便利ですし、鼻が2ドット、ひげが1ドット。これなら8ドット以内に顔が収まる。残りのドットを体を描くのに使おう、と、あと、マリオがあまりにリアルな細身の体型だと、敵役のドンキーコングが投げるタルが当たったときにわかりにくい。だから、できるだけ16×16にいっぱいの絵を描く。つまりマリオをマッチョな体型に描いたんです。逆に、ドンキーコングの絵を描くときは、マリオの4倍以上のサイズで描くわけですから、色々な表情を楽しみながらのびのびと描きました。」
(宮本茂氏 「ファミリーコンピュータ 1983-1994」より抜粋)
同じ時期に出た作品に、「マリオブラザーズ」があげられます。
こちらは1画面の中で、画面上部の左右にある土管からででくる亀やらトカゲなんかを、歩いているところを床を下のフロアからジャンプしてたたき、ひっくり返した亀に近づいてけっ飛ばして敵をやっつけていくゲームです。1人プレイだけでなく2人でプレイすることもでき、この場合、マリオの兄弟分ルイージをあやつってプレイします。
このゲームは、うまく対戦へと導くように出来ています。
例えば、相手が亀をけっ飛ばそうと近づいたときに、ちょうど床を叩けば、亀は復活して歩き出すので相手のミスを誘うことも出来ます。それに加え、3~5ステージ毎にボーナスステージとして、散らばったコインを時間内に集めるステージがあるのですが、ここでも、コインの奪い合いが自然と発生して、自然と対戦するように導かれます。
まあ、はっきりいってコントローラーそっちのけの肉弾戦(笑)に発展することもあったりもします。
(マリオブラザーズもファミコンミニで復刻されています。)
そして、1985年「スーパーマリオブラザーズ」。
これは、ゲームの世界を一変してしまいました。
当時のゲームは、一画面の中でキャラクターを動かすものがほとんどでしたが、
このゲームは、それを一変、青空の下や、雲の上。地下世界、海の中などの広い空間のなかでキャラクターを動かす体験をプレイヤーにもたらしました。
宮本氏によると、
「大きめのキャラクターがぴょんぴょんと走り回るゲームを作りたかったんです。あと、当時のゲームは、一画面のものがほとんどでした。それから「ゲームは目が悪くなる」と言われていたのが、ほとんどの背景は黒。でも、僕はそこから抜け出してみたかった。そこで考えたのが、青空の下で大きなものが広い空間を駆けるゲームです。「スーパーマリオブラザーズ」には「青空」というテーマがありました。 (中略)当時のゲームは、ひとつの動きと、ひとつのルールだけで仕上げていた。(中略)でも、僕はどうしても、泳いだり、走ったり、ゲームにたくさんの広がりを与えたかった。 」
(宮本茂氏 「ファミリーコンピュータ 1983-1994」より抜粋)
このゲームは、国内で618万本、海外で3342万本のセールスを記録。
文字通りの「ファミコンブーム」をもたらしました。
子供は学校では裏技や攻略情報の交換。
学校が終わると、「特急下校」し、大人は徹夜。
誰もが寝食を忘れて遊び続けました。
ラジオ番組では特別版がつくられるは、歌詞を載せたサントラCDが作られるは、
社会現象を作り上げました。
ぼくもいまでに、ステージ構成が頭にはいってます。
このように面白いゲームを作る(しかも、今現在も!)
宮本茂氏のゲーム作りのポリシーとはどんなものでしょうか?
「ゲームを遊んでいない人が見ても、楽しめる。何をやっているのかよくわかる。とにかくわかりやすいルール作りをすることがアーケードゲームで学んだ作法です。なぜ、ゲームオーバーになったのか、なぜミスをしたのか、遊んでいる人がルールに納得してくれるように。とにかくルールをわかりやすくするという基本を、いまだに大事にしていますね。」
「僕の場合は…(ゲームを作るとき、考え始めるのは)手触りですね。操作感というか、画面の中でなにかが動いて、それを自分が操作したら、面白いじゃないかと、手触りをもとに連想していくんです。」
「ルービックキューブがライバルだと、僕はいつも言っているんです。商品として大ヒットし、しかも見た瞬間に遊び方がわかり、手で触ると反応がある。僕が求めているものの理想に近いです。」
「触れる映像」を目指して、ゲームを作り続ける宮本茂氏。
いまなおゲームの最前線にたっている氏は、これからどんな体験を、もたらしてくれるんでしょうか?
非常に楽しみです。
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