任天堂専務取締役情報開発部長
作 品:
「ドンキーコング」・「スーパーマリオブラザーズ」
「ゼルダの伝説」等を多くのヒット作を手がける。
世界で一番尊敬されているゲームデザイナー。まさにゲーム産業を創ったクリエイター。
最近手がけた作品は「ピクミン」など。
解説:
この人がいなければ、今のTVゲームはなかったと言われる程のゲームデザイナーです。
それほどまでにTVゲームの歴史を塗り替え、いまなお最前線にたっている方です。
この方のデビュー作は「ドンキーコング」と呼ばれる作品。
誰でもいっかいはきいたことのある、任天堂の有名なキャラクターあのヒゲのはえた「マリオ」が誕生した作品です。
この作品が作られるきっかけは、、、、、
あるとき任天堂でつくったゲームセンター向けのゲーム(「業務用ゲーム」とよばれています。)でアメリカで売れ残ってしまいました。しかも数千個。
「さあ、どうしよう。。」となった時に、ハートウェアはそのままに、ソフトウェアを書き換えることによって別のゲームとして売りだそうとなりました。もう少し簡単に言うと、電子回路はそのままに、ゲームの内容だけを変えて、売り出すことになりました。
そこで、その入れ替えるゲームを作ることになったのが当時新人の宮本さんなんです。
出来上がったゲームは「ドンキーコング」。
どんなゲーム内容とかというと、
あるステージでは、ドンキーコングにさらわれた姫をたすけるため、鉄鋼の中を転がってくるタルをジャンプして飛び越したり、ハンマーで壊したりしたり、ドラム缶から出てくる炎をさけたりしながら、レディー所まで進んでいき、
あるステージでは、鉄骨をはずしていき、ドンキーコングを落としていき、レディーの救出に向かいます。
(ファミコンミニで復刻されました。ぜひとも遊んでみて下さい!詳しくはこちら)
マリオはどのようにして生まれたのか。
その前にテレビーゲームのグラフィックの仕組みについて説明する必要があるので、説明しますと。、
テレビゲームを始めコンピュータの画面は、小さな四角の点(ドット)の集合で構成されています。
例えば、あなたが見ているコンピュータの画面は、横800個×縦600個の点もしくは横1024×768の点の集合でできています。(あるいはもっと細かい点の集合かもしれません。)
ドンキーコングを作るときに、画面や、コンピュータの機能の制約上、キャラクターを16×16の四角の集合
で描く必要があったんです。
「だから、このドットだけで、人物が本当に描けるかと言うことが大きなテーマでした。まず、人の顔とわからせる為に、顔は大きい方がいい、鼻はでかい方がいい、必然的に身体は小さくなってくる。走っているときに腕を振ると、走っているように見える。ならばオーバーホールのような服を着せて、袖と胴の色を変えよう。そうしているうちに、人物像が見えてきて…ああ、これはイタリア系の人に似ているなあって。」
「鼻を一番わかりやすく見せるには、ひげをつけることなんでですね、ひげを描くと口をかかなくていいので、便利ですし、鼻が2ドット、ひげが1ドット。これなら8ドット以内に顔が収まる。残りのドットを体を描くのに使おう、と、あと、マリオがあまりにリアルな細身の体型だと、敵役のドンキーコングが投げるタルが当たったときにわかりにくい。だから、できるだけ16×16にいっぱいの絵を描く。つまりマリオをマッチョな体型に描いたんです。逆に、ドンキーコングの絵を描くときは、マリオの4倍以上のサイズで描くわけですから、色々な表情を楽しみながらのびのびと描きました。」
(宮本茂氏 「ファミリーコンピュータ 1983-1994」より抜粋)
同じ時期に出た作品に、「マリオブラザーズ」があげられます。
こちらは1画面の中で、画面上部の左右にある土管からででくる亀やらトカゲなんかを、歩いているところを床を下のフロアからジャンプしてたたき、ひっくり返した亀に近づいてけっ飛ばして敵をやっつけていくゲームです。1人プレイだけでなく2人でプレイすることもでき、この場合、マリオの兄弟分ルイージをあやつってプレイします。
このゲームは、うまく対戦へと導くように出来ています。
例えば、相手が亀をけっ飛ばそうと近づいたときに、ちょうど床を叩けば、亀は復活して歩き出すので相手のミスを誘うことも出来ます。それに加え、3~5ステージ毎にボーナスステージとして、散らばったコインを時間内に集めるステージがあるのですが、ここでも、コインの奪い合いが自然と発生して、自然と対戦するように導かれます。
まあ、はっきりいってコントローラーそっちのけの肉弾戦(笑)に発展することもあったりもします。
(マリオブラザーズもファミコンミニで復刻されています。)
そして、1985年「スーパーマリオブラザーズ」。
これは、ゲームの世界を一変してしまいました。
当時のゲームは、一画面の中でキャラクターを動かすものがほとんどでしたが、
このゲームは、それを一変、青空の下や、雲の上。地下世界、海の中などの広い空間のなかでキャラクターを動かす体験をプレイヤーにもたらしました。
宮本氏によると、
「大きめのキャラクターがぴょんぴょんと走り回るゲームを作りたかったんです。あと、当時のゲームは、一画面のものがほとんどでした。それから「ゲームは目が悪くなる」と言われていたのが、ほとんどの背景は黒。でも、僕はそこから抜け出してみたかった。そこで考えたのが、青空の下で大きなものが広い空間を駆けるゲームです。「スーパーマリオブラザーズ」には「青空」というテーマがありました。 (中略)当時のゲームは、ひとつの動きと、ひとつのルールだけで仕上げていた。(中略)でも、僕はどうしても、泳いだり、走ったり、ゲームにたくさんの広がりを与えたかった。 」
(宮本茂氏 「ファミリーコンピュータ 1983-1994」より抜粋)
このゲームは、国内で618万本、海外で3342万本のセールスを記録。
文字通りの「ファミコンブーム」をもたらしました。
子供は学校では裏技や攻略情報の交換。
学校が終わると、「特急下校」し、大人は徹夜。
誰もが寝食を忘れて遊び続けました。
ラジオ番組では特別版がつくられるは、歌詞を載せたサントラCDが作られるは、
社会現象を作り上げました。
ぼくもいまでに、ステージ構成が頭にはいってます。
このように面白いゲームを作る(しかも、今現在も!)
宮本茂氏のゲーム作りのポリシーとはどんなものでしょうか?
「ゲームを遊んでいない人が見ても、楽しめる。何をやっているのかよくわかる。とにかくわかりやすいルール作りをすることがアーケードゲームで学んだ作法です。なぜ、ゲームオーバーになったのか、なぜミスをしたのか、遊んでいる人がルールに納得してくれるように。とにかくルールをわかりやすくするという基本を、いまだに大事にしていますね。」
「僕の場合は…(ゲームを作るとき、考え始めるのは)手触りですね。操作感というか、画面の中でなにかが動いて、それを自分が操作したら、面白いじゃないかと、手触りをもとに連想していくんです。」
「ルービックキューブがライバルだと、僕はいつも言っているんです。商品として大ヒットし、しかも見た瞬間に遊び方がわかり、手で触ると反応がある。僕が求めているものの理想に近いです。」
「触れる映像」を目指して、ゲームを作り続ける宮本茂氏。
いまなおゲームの最前線にたっている氏は、これからどんな体験を、もたらしてくれるんでしょうか?
非常に楽しみです。
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