プレイステーション誕生前夜

初代プレイステーションにより家庭用ゲーム機の覇者となったソニー。
元々は任天堂と仲が良かったのです。
その証拠に、スーパーファミコンのサウンドチップはソニー製ですし、開発機もソニー製のワークステーションでした。

ちなみに、そのワークステーションも含めた開発キットのお値段は約1000万円だったそうです。
むかしはゲームが売れる時代だったからですね。

さらにそのワークステーションですがSONYのNEWSという、LINUXに代表されるUNIX系のOSが動いていましたが、あんまり安定性のない物でした。大学で同じ系列ワークステーション配備されていて、大変でした。もちろん大学ではコンピュータの入替時には同じものを採用しませんでした。

すいません、話が逸れました。。。

そして、ソニーは任天堂とスーパーファミコンと接続するCD-ROMアダプタを共同開発していましたが、任天堂はその提携を突然解消、ヨーロッパのフィリップスと共同開発すると発表したのです。

なぜ、任天堂は提携を解消したのでしょうか?
これは色々といわれているのですが、ソフトのライセンス料(ゲーム機でソフトを出す時にハードウェアメーカに払うお金)について、「ゲームについては任天堂、ゲーム以外はソニー」となっていたからだと言われています。

一見すると、なんだ任天堂にとっては今までと何ら変わりないじゃないか。と思われるかもしれませんが、「ゲーム」と「それ以外」の区別というのは、それほどはっきりと区別されるわけでもありませんし、従来のゲームの枠を超えたものが作られた時に、困ったことになります。

いままでソフトメーカのからのライセンスによって大きな収益を得てきた任天堂にとっては、まさに「油断」としか言いようが無く、これに困った任天堂が一方的にソニーとの提携を解消、ヨーロッパの家電メーカーフィリップスとの共同開発を91年6月2日にシカゴの『コンシューマー・エレクトロニクス・ショー』(CES)で発表という具合になったわけです。

一方的に提携を破棄されたソニー。
結局、自らゲーム市場に参入することになります。

プレイステーション誕生

任天堂の変心をうけて、ソニーはひたすら話し合いの交渉を行いましたが、埒があきませんでした。

交渉を経て、ソニーはスーパーファミコン互換機を製造するのか、独自路線を行くのか、ゲーム機ビジネスから撤退をするのかという3つという選択肢からどの道に進むのか決断することになりました。多くの役員は撤退を唱えた中、当時の社長大賀典雄氏の決断で、ソニーは独自路線でゲームビジネスに自ら参入することになります。

93年11月、ソニーとソニー・ミュージックが50%ずつ資本を出資してSCEを設立。
そして94年12月3日のプレイステーション発売(3万9800円)へと続きます。

プレイステーションのきっかけ

84年に現ソニーコンピュータエンタティメント社長:久夛良木氏がソニー厚木工場情報処理研究所で見たプロ用放送機器向けに開発された3DCG処理システム「ジオメトリ・エンジン」をファミリーコンピュータに載せたらどんなに素晴らしいゲームが楽しめるだろうか、と思ったことであるといわれています。

名作ソフト「グランツーリスモ」

ソニーの名作ソフトといえば、グランツーリスモがあげられます。ドライブゲームでもっとも人気を誇ります。実際の有名メーカの市販車やレーシング仕様車、時にはコンセプトカーを運転できたりします。コースも美しく実際の町並みの中を走ったりします。ドライブ感覚も実物さながらです。 また、世界中の自動車メーカーが開発に利用しており、また膨大な時間を費やした取材を行うことでリアル過ぎるほどのドライビングを実現しています。車好きでなくてもオススメ。


グランツーリスモ4

80の自動車メーカーより、1986年から2004年までの500台以上の車種が収録。ニュルブルクリンクサーキットなど、約50のコースも魅力のひとつ。(PS2)


グランツーリスモ3 A-Spec MEGA HITS!

第3弾。車種が少なめ。(PS2)


グランツーリスモ2 PS one Books

プレイステーションでの第2弾。いまとなってはレトロ?(PS)


グランツーリスモ PlayStation the Best

初代。これもいまとなっては懐かしい?


グランツーリスモ4 “プロローグ版” PlayStation 2 the Best

4の初心者版、遊びやすい?


グランツーリスモ Concept 2001 TOKYO PlayStation 2 the Best

東京モーターショウ2001のコンセプトカーにも乗れる。

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